今、呼吸している

今への着地

何もしていない自分に対して、

「何かやらなくては」「何かやろう」という焦りをそっと傍に置くと、

ただ今生きている、呼吸している、心臓が動いている、という事実に気づくことになる。

外側で比較していた意識は内側に向かい、

ジャッジなく、ただ「今」を感じることができる。

これでいい。これでいいんだ。

ただこれだけ。

ここにいると、何かが自然と湧いてくる。

静けさ、平安、喜び。

ここにいる時間が必要なのだ。

ここにいるプロセスが必要なのだ。

ここまで来ないと、ここまで何もないところに来ないと、

自然とそうはならない。

でも、ちゃんとそれは用意されている。

いや、元々こうだったのだ。

ただ生きる。ただ生きている。ただ生かされている。

もう、これで充分だ。

2. エゴのしがみつきの暴露と赦し

朝起きて、何もない自分に一瞬、絶望しそうになることがある。

かつてなら、ずっとその絶望の暗闇の中にいたかもしれない。

でも、今は違う。

何もないのに、何かしらの役割や学びにしがみつこうとする自分。

それしかしていない自分。

何かの立場を握りしめて、社会的に「何かしている自分」だと思い込もうとする自分。

そのすべてを、ただ静かに赦していく。

思いや捉え方が違っていただけで、実はこれまでもずっとそうだったのだ。

過去にどんな活動をしていようと、どんな立場や役割を濃密に生きていようと、

実は今と何も変わっていない。

何かしらの社会的立場や役割を握りしめて、

何かしているつもりになっていただけだったのかもしれない。

結局、最初から何もなかったし、何もしていなかったのだ。

3. 座席指定からの解放

何者かである自分、何者かであるための肩書や立場。

それらを失ってみると、外してみると、

「無い方がどれほど楽か」がよくわかる。

とはいえ、それでも生きている限り、

名前はあって、年齢はあって、住所があって、戸籍はある。

でも、それの何が重要なのだろうか?

それらは単に、社会上の識別の印、いわば「座席指定の番号」に過ぎない。

何ということだろう。

何もない方が、これほどまでに自然だとは。

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