かつては「マインドフルネス」や「瞑想」と称して、
呼吸を意識したり、日常の中に「非日常」を求めて
わざわざ時間を作ってやっていた。
けれど、外側の役割がすべて剥がれ落ち、
「今はこれしかすることがない」となると、
その静けさこそが、ただの日常となる。
そうなったとき、
この「身体」が、唯一の向かい合う者となる。
私にとっての、最小限の他者。
いちばん身近な、投影先。
世界が消え、向き合うのがこの身体だけになったとき、
私はハッと気づく。
この身体もまた、外側の夢の出来事と同じく、
ただここで「起きているだけ」なのだと。
私の意志ではコントロールできない、神の領域。
心臓は勝手に脈打ち、息は勝手に巡る。
「私の身体」という幻想が消え、
そこにはただ、大いなる生命の営みだけがある。

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